「教える」という仕事について(番外)

2008/02/25 13:37 | 3 Comments

これは面白い。
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1870
小4のお子さんが学校で長方形の面積を横×縦で計算したら減点された。学校に問い合わせたら,担任にも教務主任にも縦×横が正解と言われたとのこと。横×縦でも同じになることを自分で見つけたならば褒めるべきところを減点するようでは,創造性を伸ばすなというようなもの。

学校の教師という人たちは、淘汰が起こりにくい仕組みになっているため、責任重大な割には適任じゃない人が多いんじゃないか、という疑問はとりあえず置いておき。

ここで書かれているのは「A x B」を「B x A」で計算したら間違いだと言われた、という話。普通の小学生が授業で習うような範囲においては「A x B = B x A」としてしまって問題はない。ただし数学の世界では「A x B = B x A」が常に成り立つとは限らない。だから、厳密に言えば「乗算の可換性」という議論に踏み込まずに、勝手に「A x B」を「B x A」に置き換えることは間違いだ、と言い方もできるわけだ。それを踏まえた上で、生徒に「A x B は B x A と同じなんでしょ?」と言われた場合、どう対応するか。

この例はちょっと極端な気もするが、これと似た問題は、ある程度の期間に渡って何かを教えるような仕事をしていれば、必ず突き当たると思う。つまり「えーっと、今のところはそういう理解でもいいんだけども、まー、正確に言うとそうとも言い切れない部分があって、そのー、なぜ正確にはそうじゃないかっていう話になると、ちょっと難しい話になるからあんまり詳しくは話せないんだけども、、、」みたいなグダグダ状態である。
本来であれば、本質まで踏み込んだ理解をしてもらえればベストなんだけども、そのために必要となる話が多すぎる場合は、どこまで伝えるべきか困ってしまう。下手にややこしい話をしてしまうことで、せっかくの「今持ってくれている納得感」を損ねると元も子もないからだ。


以前のエントリでも少し書いたけど、難しい語彙や高度な概念というのは、思考の粒度、思考の歩幅を大きくしてくれる反面、まったく理解してもらえない危険もはらんでいる。本質的な概念だけを教えてオシマイ、ということにできればいいのかもしれないが、それで理解できる人はほとんどいないだろう。

たとえば、面積を求める方法では、長方形、正方形、平行四辺形の求め方なんて個別に教えなくても、台形の面積の求め方さえ教えておけばそれで済む。別に正方形の面積を「(上底+下底)×高さ÷2」で求めてやっても間違いではないからだ。台形の例では計算量は増えてしまうが、数学では先に進むほど、少ない原則(=高度な概念)で多くの事柄を、少ない手間で解決できるようになっている。しかし、応用が利く原則になればなるほど理解するのが大変になるので、どうやって個別のケースに落とし込んで伝えるか、という問題になるわけだ。

当然、一対多で行う授業(=知識や概念の伝達)においては、いかに「脱落者」を出さないか、ということも重要になる。だから、ある知識や概念を伝達するときには、その知識によって解決できる問題の幅(どれだけ思考の歩幅を伸ばせるか)と、理解のしやすさを天秤にかけないといけない。もちろん、時間をかけて伝えるなり、一対一のやりとりで補うなりすれば脱落者は減らせる。しかし時間が限られていて人数も多い場合には、「最大多数の最大幸福」を狙って、限定的な個別のケース(=本質的な理解と比べると対症療法的な考え方)だけにフォーカスして伝える、というのも仕方のないことだろう。
[※ちなみに、大学受験の数学(多分高校や中学受験でも同じだろうけど)においては「それを使えば多くの問題が簡単に理解できるのに、高校の指導要領に入っていないため、大学以降でないと教わらない便利知識」というのが結構あったりする。受験参考書の中には、それらにフォーカスしたものもあったりする。]


「教える」という体験について、以前友達から聞いた話。子供の頃、先生に言われてクラスにいた「できない子」に教える係をやったそうだ。
「三角形の面積は底辺×高さ÷2で計算できるんだ。ここは大丈夫?」
「うん」
「じゃあ底辺が4cm、高さが3cmの三角形の面積は?」
「うーん、分からない」

ここで「分からない」と言われて、「これ以上どうやってかみ砕けばいいんだろう?」と真剣に悩んだそうである。

抽象的に考えることが得意な人もいれば、苦手な人もたくさんいる。これは子供も同じだろう。そういう子供たちも含めて一対多で授業をするのであれば、「そもそも縦とは何か」とか「乗算は可換か」という本質的な問いには敢えて触れずに、限定的な解法だけをとにかく暗記してもらう、というのも一つのやり方ではあると思う。ただし、そうすると「本質を理解した人」を「教えた解法を理解していない人」だと勘違いしてしまう可能性が生まれるわけだ。

以上、「縦×横」の採点問題については、もともとの話の情報量が少ないため何とも言えないし、この例はやっぱり極端だとは思うけど、厄介な問題もはらんでいるような気がしたので、いろいろ考えてみました。
この記事へのコメント
ピソ(2008/03/02 07:07)
話脱線ですが..

>縦×横
これ、このサイトの他の人の書き込みによる

>そのタレコミは「式の作成」と推測しますが・・・
>決して「教師の凋落」とも言い切れないようです。
>我が子の算数テストを見ると・・・
>縦()cm×横()cm=答え()平方センチメートル
>と書いてありました。

これだったとしたら、
タレコミしてるお母さん
ただのモンスターペアレンツじゃなのか?!?!?!?

なんでうちの子が、記念撮影で真ん中にいないのか?
とかまじでクレームがくるらしいじゃないですか
最近....

話再びそれますが
>創造性を伸ばすなというようなもの。

いちいちうるさいな!このおやじ!!!!!!!
そうやって、個性プレッシャーをちびっこに
かけんなっつうの~~
uru(2008/03/02 12:10)
>記念撮影で真ん中
スキャナで取り込みー>フォトショで立ち位置編集ー>再印刷で解決!おれ天才!

>個性プレッシャー
教育産業で格闘してる人の魂の叫び。。。笑
いやでも、「義務教育」と「個性」なんてそもそも水と油だと思うけどね。せいぜい「守破離」の「守」止まり。
ピソ(2008/03/06 14:11)
>いやでも、「義務教育」と「個性」なんてそもそも水と油だと思うけどね。

たしかに・・・

思い出してみても
学校の教育方針??って
別に自分の人格??になんの影響も
およぼしてないやうな気も・・

影響がなかった!っていえる環境が
よい環境だったのかもしれないけど!?
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