あなたは科学を信じますか?

2012/02/08 19:34 | 0 Comments

「科学は信頼できるかどうか」という話を以前よりもよく見かけるようになった気がする。東日本大震災の影響もあるだろう。(ここでの科学=サイエンスという意味で、物理学や化学、医学などの分野全般を指す。)おれ自身は昔から「科学的」という言葉には基本的によいイメージを持っているのだが、「科学的」あるいは「人工的」という言葉にネガティブなイメージを持つ人も割と見かける。すごい人になると「食品添加物は化学物質だから体に毒だ」みたいな言説を本気で信じていたりする。

●「科学万能主義」という言葉

こういう「科学」に対する認識の差がどこから生まれるのか考えてみると「科学がそもそもどういうものか」という認識が異なっているように感じた。たとえば「科学万能主義」という言葉あたりが、特に認識の違いを強く表している気がする。この「科学万能主義」という言葉は「科学で何でも解決できると思うなよ」というような文脈で使われるんだけど、これは相当におかしな言い方だ。というのも、そもそも科学自身は自分のことを万能だとはまったく思っていないからだ。科学嫌いの人は、科学的な言説や理論体系を、宗教の教義と同じものだと思っているフシがある。

「科学的」というのは要するにプロセスの話である。何らかの事実を観測し、その結果に対し、矛盾なく説明できるような法則を見つけ出したり、理論を組み立てたりするのが科学の基本的な姿勢だ。

●「科学的に正しい」とはどういうことか

一般的に「物理学や医学と大きく矛盾する理論」は嘲笑の的になることが多い(永久機関などがいい例だろう)。それは「既存の科学的理論」に対して、すでにいろいろな人がさんざんツッコミを入れても反証できなかった、あるいはその理論を元に作られたさまざまな成果がうまく動いている、という事実があるからだ。たとえば重力定数は間違っています!と言い出す人がいればおそらく「どうせ測り間違いだろ」とか「デンパ乙」とか、そういう反応が返ってくるはずだ。それは、今まで多くの人がさんざんいろいろな角度から入れたであろうツッコミや、その理論を元にした成果などをすべてひっくり返すのは相当難しいはずだ、という考えが根底にある。

逆に言えば「科学的に正しい」というのは「現在観測されるほとんどすべての結果を、今のところ矛盾なく説明できてるよ」という意味でしかない。あくまで「仮」の話であって、絶対視しているわけではないのだ。どんなに突飛な理論だったとしても、観測結果と辻褄があっていれば「そういうものなのだろう」として受け入れられる。たとえば、相対性理論では動く物体の長さが縮んだり、時間の進み方が変わるという話が出てくる。直感的に考えるととても信じられない話なのだが、たとえばGPSなどは、そういった理論から予測される時間の遅れなどを考慮して作られている。そして、実際にGPSによってほぼ正しく位置測定ができているので、とりあえず「場合によっては、時間の進み方が変わることもある」と考えておいても問題なさそうだ、というところに落ち着くわけだ。

●観測結果の重要性

言い換えると、科学にはおいては「観測結果」というのはスタート地点なので、その観測結果自体が間違っていないかどうかには細心の注意を払う。興味深い観測結果が1つや2つ出てきたからと言って、それらを簡単には信用しない。まず再現手順を明らかにし、本当にその観測の手順や結果の測定方法に間違いがないか、誤差がないかをさまざまな人たちが検証する。科学においては「正しく観測ができているか」というのは超重要な問題なのだ。

少し前の「超光速ニュートリノ発見」のニュースなんかを見ていても、「科学的」な姿勢がはっきり現れている。つまり、既存の理論とは異なる事実が観測されたとしても、まず測定の手順やプロセスをすべて公開し、第三者に検証を依頼し、その観測結果に間違いがないかを確認するというやり方だ。事実の解釈なんかは後からやればよい、という姿勢である。

●節操のない科学

「観測結果が本当に正しい」とか「誰がやっても同じ結果が測定される」ということが確認できれば、科学は容赦なく既存の理論体系を変えてしまう。変な節操なんて持ち合わせていないのだ。たとえば相対性理論に反する観測結果がはっきりと確認されても「アインシュタイン様の理論にケチつけんのか」と言ってみんなで観測者に電話抗議したりはしない。粛々と既存の理論体系を修正するだけだ。(もちろん大騒ぎはするだろうけども。)

どんなに既存の理論からかけ離れていても、正しく観測された事実があるのなら、そしてさまざまな人によって同じ事実が観測されたのなら、科学はそれを素直に受け止める。これまでもずっとそういうやり方で、より多くの事象を説明・予測できるように発展してきた。

●科学のどこが信用できるのか

最初に書いたように、おれは基本的に科学は信頼できるものだと思っている。それは「科学が打ち立てた現在の理論体系を信じている」ということではなく「観測方法や解釈の過程がオープンであること」や「観測結果に対して忠実であること」などの、科学のプロセスや考え方に対する信頼である。逆に特定の思想や理論体系を「トンデモだ」と言って笑うときも、内容そのものでなく、その結論に至るプロセスがあまりにもいい加減だから笑っているだけなのだ。

 

本当は疫学みたいな「確率と統計」に関連する話とかも書きたかったけど、とりあえずこんなところで。

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