負け惜しみをかっこよく言う方法
2010/08/31 18:19 | 0 Comments
「お金があっても心が満たされない人生なんて、果たして幸せだろうか」
必ず一度はこのテの表現を目にしたことがあると思う。しかしこの表現のおかしなところは「お金があるかどうか」と「心が満たされているかどうか」という2点が両立しないという前提になっているところだ。要はこういうイメージになっているわけだ。
しかし冷静に考えれば、この2点はまったく別の軸なので本当はこういうイメージが正しいはずなのだ。
つまり「お金があって心が満たされている」という状態もあり得れば、逆に「お金もないし心も満たされてない」という状態もあり得るということになる。
このように、本来まったく別の2軸であるものを、わざと対立する1つの軸に仕立て上げる論法というのはいろいろなところで目にする。
たとえばパソコンの苦手な人が「自分はアナログ人間だから~」という言い方をする。まあこれは一種の冗談だろうけど、「デジタル」と「人間らしさ」みたいなものを対立軸にしたがる人はいまだに結構いるような気がする。
あるいは「非人間的な大量生産」vs「心のこもった手作り」という対立軸。低コストで品質の高い大量生産のラインを作り上げるためには、それこそ大勢の人によるたくさんの試行錯誤があり、そこには作った人の「思い」がしっかりと込められていることは想像できないようだ。
学生の就職に関するニュースが出たときは「企業のブランドを重視するか」か「自分の価値観や個性を重視するか」という言い方をしている人がいた。まるで大企業に行くと自分の価値観がすべて押しつぶされてしまうかのような物言いだ。
最近では「冷たい現代医療」vs「ぬくもりのある癒し」などという対立軸を持ち出す輩もいるようだ。彼らの目には、現代医療に携わる人間は「守銭奴で血も涙もない人でなし」にでも写っているのだろうか。
逆に言えば、ホントはうらやましい対象について「く、悔しくなんかないんだから!」と言いたい場合もこの論法が使えるわけだ。つまり、本来ならまったく関係のない2つの評価軸を、敢えて1つの軸にまとめてしまえばいいわけである。たとえば美人をけなしたければ「性格の悪い美人よりは性格のいいブスの方がいいわよね」という具合だ。
実際、そういう論法で「酸っぱいブドウ」を地で行っている人もたくさん見かけるが、その人たちの尻馬には乗らないことをオススメしたい。「ブランドなんか関係ない!自分の個性で勝負しろ!」とか言っている人が「あんたミーハーの権化みたいな経歴ですやん」という感じだったりすることはよくありますしね、うんうん。
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