体育会系的精神論が嫌いな理由

2006/11/10 02:19 | 10 Comments

前のエントリで、体育会系が嫌いだということを書いたけど、それをさらに広げてみる。

初めにことわっておくけど、別に精神論自体が嫌いなわけではない。昔「カクテルパーティー効果」という話を聞いたときに面白いなーと思ったのは、雑音のフィルタリングみたいな「無意識の処理」に思えるものであっても、結局は自分の興味だとかの「意識的」なものに影響される、ということだ。つまり、自分の意識をどういう方向に持って行くか、自分をどうやってモチベートするかってことが、結局すべてのスタートになるってことになる。だから、自分の意識を高めて、やる気をいかに維持していくかという、いわば精神面のメンテは何をするにも大切になるはずだ。同じように、他の人たちに対しても、どうやって仕事に張り切って取り組んでもらえるような雰囲気を作るか、気分良くやってもらうかってことを考えるのは大事だと思う。


ただ、すごく嫌いなのは「他人を断罪するときに精神的な(内面的な)理由」を持ち出すことだ。「やる気あんのか」みたいなヤツね。そういう断罪の仕方なら、いつでも誰でも誰に対してもできる。たとえばイチローが三振したときに、おれがイチローに対して「やる気がないからだ」「集中力が足りない」って言ってやることは簡単なわけだ。でもそんなこと言って何の役に立つの?具体的な理由や解決策を、明確に(定量化して)出さないと、じゃあどうすりゃいいんだよってことになるだけだ。
逆に言えば、具体的な理由や解決策を提示するためには、その事に対しての経験や知識が当然必要になってくる。プロスポーツ選手とコーチであれば、別にコーチの方が上手である必要はないにしても、相当の技能や経験は絶対必要になる。体の使い方や球種の読み方といったことを分かった上で、現実的でかつ実行可能なフィードバックをしていかないといけない。名選手名監督ならず、とはいっても、自分でまったくできないことを人に教えることはできないでしょ。別に教える、教えられるという関係に限らず、同僚やパートナーでも同じはず。断罪や非難とまでは行かなくても、聞いてる側にとって不愉快なことを言うのであれば、話の内容は出来る限り具体的じゃないと大変にマズイわけですよ。ただムカつかせるだけなら、黙っていた方がマシ。

よく思うのは、「熱意が足りない」みたいに人を非難(断罪)する人は、自分が優位に立つために具体的な部分を敢えて曖昧にしようとしているんじゃないかということ。具体的な話になってしまうと、正しいか正しくないかという話で逆に自分の実力不足、経験不足がバレる可能性もでてきてしまうからだ。
でも仕事がうまく行っていないんなら、それを改善するためには具体的なアクション以外にはない。たとえば営業成績が悪いのなら、訪問件数が少ないとか、提案内容が的を外しているとかあるだろう。じゃあたとえば訪問件数が少ないのなら、何件増やせばいいのかという問題になるわけで、そこで現場の経験がないと「とにかくがんばれ」ぐらいのことしか言えなくなる。あるいはソフトウェアの開発なら「うまく行っていない」という状況は、スケジュールが遅れている、あるいはバグが多いとか操作に対するレスポンスが遅いとかいろいろある。で、たとえばレスポンスが遅いのなら、設計か実装のどっちかがマズイのであって、プログラマーに熱意が足りないからではない。改善するには最終的にはどっかを書き直すしかないわけですよ。その際に「ここの実装を変えるべき」というような指摘をするためには、指摘する側にもちゃんとしたスキルが必要になる。逆に「やる気あんのか」みたいなことは誰でも言えるし、そんな言葉は誰も必要としてない。

初めに書いたように「やる気が大事」とか「誠意が大切」ってのはその通りなんだけど、具体的な話が一切ないのに、そういう単語ばっかり出てくる人を見るとすごく怖くなる。というのは、おそらくそういう人は「うまく行かない」「話がこじれた」という状況になったら、きっと同じ論法で人を非難するんじゃないか、と思うからだ。「そもそもお前にやる気が足りないからだ」「誠意が感じられない」・・・。
でも「たった今、目の前にあるトラブル」を解決できるのは、情熱とか誠意という言葉じゃなくて、具体的で実行可能な行動でしかない。「何をするべきかを具体的に考え、実行する」というプロセス全体で示すのが、やる気とか誠意なんじゃないの?もっと言えば、誠意っていうのは後から他の人に評価してもらうものであって、自分から見せるものじゃないよなあ。もしも怖いおじさんに「誠意見せんかい」とか言われたって、やっぱり誠意の代わりに財布しか出せないわけですから、ってそんなオチいりませんかそうですか。
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この記事へのコメント
a key hero(2006/11/11 15:23)
なんか学部時代にも確かほぼ同じ趣旨のことをおっしゃってたので、このへんの話題ってうるしお君の生き方の根幹をなすものの一つなんでしょうね。practicalだし分かりやすくて僕は好きです。

>具体的な理由や解決策を、明確に(定量化して)出さないと、じゃあどうすりゃいいんだよってことになるだけだ

ってあたり、今塾のバイトしてて生徒に学習の相談をされたときに僕が意識してることとたぶん似てます。「やる気」という言葉を使わないでいかに「やる気」を引き出すか、みたいな。
uru(2006/11/12 13:49)
>a key hero
ども。確かに基本的な考え方は変わらないですな。
ただ仕事を始めるようになってから、クチだけじゃなくて「実際に頭を使ったり手を動かしたりして、目の前の課題を解決すること」の重要性はより強く実感するようになった。
逆に、花火をブチ上げるだけなら実はそんなに難しいことじゃないなあと。そういう意味ではブログっていうのは危険なメディアなのかもしれんね。無責任なことを書いてるだけで、何かやっている気になってしまうし。
Makki(2006/11/14 01:17)
ロジカルじゃない指摘には納得できねーけど、それに対しては意地でも負けたくねぇ、と。

両方必要なんだよな。
俺もロジカルじゃない指摘を部下にしているおじさんを街で見かけるとそのおじさんに「お前がチョットこっち来い。」といいたくなる
日本のスポーツ精神論が苦手(2007/10/02 19:58)
体育会系がよってこない方法はないですか。
uru(2007/10/02 21:20)
>日本のスポーツ精神論が苦手

寄ってこない方法ですか、、、難しいですね。基本はそういう人が多そうな集団を避けるということかなと思います。いったん入ってしまうと、どうしてもそういうノリに巻き込まれますし。

あと長期的には、きちんと目に見える結果を出せるように、いわゆる「実力」をつけるってことでしょうか。そうすれば、自分が所属する集団の選択肢が広がりますし、いい循環に入れると思います。
(2008/12/28 09:06)
経験者として言わせてもらうと、
学校・部活動・稽古塾・バイト先・会社
どこへ行っても体育会系は理不尽な上下関係と精神論を押し付け、先輩・教師・上司など上にはペコペコ。
下には、事あるごとに自分に都合の良い人間に仕立て上げようと、

●思い通りにならないと暴力・脅迫・威嚇で押し切る
●都合の悪い口答えを許さない
●お強い自分を見せる「おかず」に使う
●コソコソ根回しして「むこうも俺と同じ事いってんだろうがよ」「俺の言った通りになっただろうがよ」「だから俺が正しいって事なんだよ」
●わざと失敗させ、その失敗を責める勢いを利用して、でたらめや関係のない事をこじつけ「ハイ」と言わせようとしたり「この失敗をどうにかして欲しいか、なら今後はこうするんだろうな?」と説得するフリした脅迫
●頑張って成功しても「調子に乗ってると殺すぞコラ」と自信をもつ事を許さず、卑屈にペコペコさせようとする
●見え透いた姑息な真似を繰り返しておきながら、それがばれてないと夢見てる
●いざばれてるとなると「お前のためにやってんだよ」と自分の言う「ためになる」の価値観や、自分のした事の責任を押し付け正義面
●見え透いた姑息な真似に騙されたふりをするようになった者を見て、自分にはカリスマや信頼や素晴らしい人生観があると自惚れる

…とても書ききれない。

ほとんど全ての体育会系は、この手の自惚れた勘違いをしているのだろうか?
uru(2008/12/30 01:29)
うはー、事情はよく分かりませんが大変そうですね。。。
藤田徹(2009/11/25 23:48)
ある私立大学の体育会武道系の部OBです。
別の国立大学大学院で修士を取り、証券会社の投資銀行部門に勤務しております。
確かに体育会系的精神論者は自分も好きではありませんが、今実際の現役部員を見ていると、やはり論理的な思考が出来ない人間は幹部として失格であると感じております。
やはり、アメリカ式あるいはドイツをはじめとしたヨーロッパ式のスポーツ科学が日本において学問として認識されるようになったからではないでしょうか?
幹部(四年)や準幹部(三年)が絶対的な権力を持っているという時代は過ぎました。一年や二年が先輩の言うことを鵜呑みにしていた時代は過ぎたのです。
むしろ、問題なのは体育会以外の一般学生が就職して社会に出てきた時の方が問題なのではないでしょうか。
自分たちで好き勝手にサークルで遊び、体育会のように中高年のOBとも接触がないので、言葉遣いも礼儀も知らない人付き合いの苦手な若者が非常に増えています。
資格試験等で専門学校と掛け持ちしながら勉強した結果、資格に合格したもののただ受け身の授業を聞いて理解し出題パターンをおぼえるという作業だけで膨大な時間を消費したためにコミュニケーション能力に欠けるというケースも見られます。
自分は大学院時代、ずっと部屋にこもって自分の研究に没頭しているが自分以外が見えていない博士課程の先輩を見てうんざりした経験があります。学部時代のゼミでは先輩があまりにもいわゆる「チャラ」くて、飲み会にあまり参加しませんでした。
上下関係は普通小中高校で自然に学ぶのでしょうけれど、日教組のせいか今の子ども達はそれを学べなくなっています。だから大学で体育会に入らなければ上下関係がなんたるものなのかすら知らない若者が増えているのです。
挙げ句の果てに非正規雇用労働者のデモなんかを見て、何でも良いから自分たちが正義であり財界や政府は絶対的な悪であると勘違いして蟹工船を読みあさるようになったのです。
私の会社には体育会の学生を毎年何人か採用しています。理由は上に書いたとおりです。
外資系いえど研修はやっていますし、はっきり言って投資銀行業務は顧客とのコミュニケーションが重要です。企業の査定を行うので公認会計士や院卒もいますが、専門的知識だけでコミュニケーション能力がいまいちという人がちらほらいます。
体育会といってもやはり時代とともに変革しているのではないでしょうか。
ちなみに東大の近くで・・・というタイトルで思い出したのですが、以前NHKのドキュメンタリーで東大応援団が取り上げられていましたよ。応援団はいまだに体育会より精神論が根強いでしょう。しかし、大学時代を思い出すとオールラウンドの飲みサークル員よりもよほど人間として立派だったと思いますよ。

名無し(2012/03/01 11:52)
正直体育会が精神論だけと思っている人のほうが残念だと思います。
ウスッ!チャッス!の部類は確かに少なくないが、ロジカルで勉強も仕事も出来る人は少なくない。
そして何より他人を尊重しないとかそういった意見は違うと思う。
某大手有名企業に勤めて、そういった人がたくさん居るのをみてきました。
全否定は彼らのためにもやめて欲しいですね。
それに、イチローも言ったら体育会ですよ?w
ロニー(2012/05/27 22:44)
投資銀行とか、社会のクズ・癌だよね。
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